沿革
浄教寺の元祖は教空である。教空は当村古曽部の豪農入江某氏として生まれたが
戦乱や一揆が打ち続く戦乱の世をはかなみ、念仏門に帰依して名を教空と改め一字を創建したのが起源である。
やがて永禄三年(1560年)中興宗円が本願寺第十一世顕如上人の直弟子となり、
古曽部の門徒とともに念仏教化に励んでいたが、元亀元年(1570年)織田信長と本願寺との、
いわゆる石山合戦に宗円も護法の為に自ら僧兵として村の門徒と共に参加したという。
その後、阿弥陀如来絵像一幅下付あり。これを現在まで護持・伝承している。
第三世住職教恵の時代、
延宝元年(1673年)に現在のご本尊(阿弥陀如来大仏像)の下付、
第四世教専に至って元禄三年(1690年)に門徒の協力を得て前本堂が建立され、
親鸞聖人、良如上人、聖徳太子、七高僧のご影が下付され、ほぼ内陣の荘厳が整えられた。
以後、太鼓桜、石橋、山門を次々建立し、文化十年(1813年)茅葺き屋根の本堂から
瓦葺き本堂にとその姿は次第に整っていった。
しかしながら、その後幾度となく歴代住職が中心となって修繕に修繕を重ねていったが、
三百年余りの風雪には老朽化した本堂も耐ええず、ついに新築のはこびとなり今日を迎えたのである。
このように、今再び将来に向かって継承できることを心より幸せと感ずるのである。
住職紹介
去る平成二十七年七月二十七日、前住職の後を承けてより浄教寺の住職として
その責務の重大さを痛感しながら職務に励んでまいりました。
平成二十八年四月十日、ここに住職継職を仏前に奉告いたします共に、
浄教 寺の益々の発展と浄土真宗のみ教えがこの地に大きくおおきく広まり、
人々が安らぎと感謝の日々を送れることを念じてお勤めすることになりました。
お勤めするに当たり、当寺役員の方々の絶大なご協力と門信徒並びに地域の方々の
深いご理解ご支援により無事に法要がお勤めできましたこと、
心より謝意を表す次第であります。
又、当寺は長い歴史と伝統の中で歴代住職のご苦労により今日に至っておりますが、
この法要を通じて、お念仏のみ教えがますます門信徒の皆様方と共に積極的に参画を
していただけるよう心から念ずるもので有ります。
歴代住職
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- 元祖
- 教空 年代不詳
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- 開基
- 宗円 寛永二年三月十五日寂
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- 第二世
- 宗順 明歴三年十二月十六日寂
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- 第三世
- 教恵 延宝八年四月十四日寂
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- 第四世
- 教専 宝永五年十月七日寂
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- 第五世
- 教似 正徳四年六月六日寂
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- 第六世
- 教可 享保九年二月二十一日寂
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- 第七世
- 教応 享保十二年二月二十一日寂
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- 第八世
- 空圓 明和三年三月十四日寂
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- 第九世
- 圓応 天明二年一月二十三日寂
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- 第十世
- 諦応 文政七年十二月二十九日寂
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- 第十一世
- 諦圓 慶應元年五月二十九日寂
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- 第十二世
- 諦観 明治十四年四月六日寂
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- 第十三世
- 俊了 昭和十二年六月二十九日寂
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- 第十四世
- 俊哲 昭和五十六年十月三十日寂
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- 第十五世
- 唯信 前住職
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- 第十六世
- 浄信 現住職