浄教寺の歴史は古く、延宝元年(1673年)に現在のご本尊である阿弥陀如来大仏像の下付、元禄三年(1690年)に前本堂を建立、親鸞聖人、良如上人、聖徳太子、七高僧というご影が下付されました。
それ以後は、太鼓桜、石橋、山門という風に建立し、文化十年(1813年)には、茅葺き屋根の本堂から瓦葺き本堂へと姿を整え、修繕を重ねながら300年あまりの季節を重ねていきました。
しかし、風雪と老朽化した本堂は、耐えることができなくなり、現在の形へと変化しています。
そんな浄教寺の元祖は、教空と言われています。教空は、当村古曽部の豪農入江某氏として生まれ、その後世の中に起こる戦乱や一揆が続く中、念仏門に帰依し、教空と名前を改め、そのいち文字をとって創建したのが浄教寺の起源と言われています。
永禄三年(1560年)には、中興宗円が本願寺の第十一世顕如上人の直弟子となったことから、元亀元年(1570年)には織田信長の本能寺の変に繋がる、石山合戦に護法の為、僧兵として参加し、その後、阿弥陀如来絵像一幅下付ありとなりこれを、現在も護持・伝承しているのです。
このように、浄教寺の歴史は古く、少しずつ姿を変えながら現在の形となっていることがわかります。
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